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豊臣家を裏で支えた秀長の人物像とは?

その素顔を知るべく郡山城と城下町を訪ねる

 先の町づくりなどからも、政治家・武将としての才覚(さいかく)がうかがえるが、その部分に関しての見方はどうだろう。

 

「私は兵庫県出身ですので、小さい頃から大阪城には行っていましたし、秀吉のことは知っていました。でも秀長という優秀な弟がいたことを知ったのは、だいぶ後になってからです。やっぱり、最初にイメージしたのは弟として一歩引いて、兄を立て、フォローをしていた優しい弟。でも、ただ心優しく、サポートに徹した滅私の人……というだけではない、違う面もあったと思います。すごくのみ込みが早くて、農民として生きてきた人が、戦いや政治の世界に引き込まれて、人を率いて戦場に出たり、晩年は茶の湯に傾倒したり……。内心、やりたい放題のお兄さんに呆れていたのかな、とも(笑)」

 

■豊臣家の中枢を担った秀長の本心とは

 

 実務面では秀長は徳川家康(とくがわいえやす)と秀吉との関係を取り持つなど、交渉役・接待役としての活躍にも見るべきものがあった。

 

「ただ、秀吉の後継者をめざすような野心は、私はなかったと思います。秀長自身が人の上に立つことに喜びを感じていなかったように思うからです。大和郡山や豊臣家の血脈を守りたいという気持ち、その手段として大和郡山豊臣家を存続させたいという思いは最後まで持っていたのではないでしょうか」

 

 しかし秀長は秀吉が天下を統一した翌年、数え52歳で世を去る。秀長がもう少し長生きしていたら……は、歴史ファンの間でよく語られる「IF(イフ)」である。

 

「あと数年長く生きていたら、千利休(せんのりきゅう)や豊臣秀次(ひでつぐ)の死を防げたのかもしれません。ただ、いくら秀長が仲裁に入っても、家康と石田三成(いしだみつなり)らの分断は、遅かれ早かれ大きな戦いに発展してしまったとも思います。ただ関ヶ原の後まで秀長が生きていたら、淀殿(よどどの)を説得して徳川政権の下で一大名として豊臣家を存続させられた……そう考えてしまうくらい、秀長は大きな存在感や影響力を感じる武将ですよね」

豊臣秀長の肖像画。春岳院蔵

 最後に今回の番組「豊臣兄弟スペシャル」の見どころをうかがった。

 

「偉人たちの敗北や失敗を知り、学びや親しみを得ていただくことをテーマにした番組です。豊臣秀長は謎の多い人物で、だからこそ、その人生はさまざまな解釈ができると思います。この特番を通して、視聴者の皆様それぞれの『豊臣秀長』に出会っていただけたら嬉しいです」

 

 

2026年13日(土)20時放送

新春スペシャル

偉人・敗北からの教訓 豊臣兄弟編

©BS11

豊臣秀吉・秀長兄弟の栄光と敗北を追う新春2時間スペシャル。

解説・伊東潤と進行・中西悠理が、二人の生涯から得られる教訓を伝える。

〇レギュラー放送:毎週土曜日21時~2155分放送

〇BS11の番組は全番組が無料放送(一部のテレビでは視聴用機器をご準備いただく場合があります)

〇放送終了後、TVerBS11+にて見逃し配信

©BS11

https://www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/

 

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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